月別アーカイブ: 2014年4月

観光都市京都の魅力

私の好きな街は京都です。新幹線を下りるとまず目に飛び込んでくるのは京都タワーの雄大な姿です。その姿は近代的な象徴ですが、京都は古い街です。明治より昔は京都に天皇がいらっしゃったのですが、現在ではその跡は京都御所となっています。一部は公園として一般人にも開放されています。新幹線を挟んで京都駅の逆側には東寺があります。ここの五重塔は有名で、よく京都観光のパンフレットに使われます。京都駅からJRで3駅行ったところにある嵐山は去年の台風で川が氾濫し、渡月橋の一部が崩壊したことで話題になりましたが、非常に風情のあるところです。私は嵯峨の駅でJRを下り、その近くにあるトロッコ嵯峨駅からトロッコに乗り、亀山に着いて帰りは保津峡下りをしました。ゴールデンウィークの最中でしたが、それほど込んでいなくてトロッコも船もそれほど待たずに乗れました。こういう遊び場所もありますが、嵯峨には念仏寺のようなお寺がたくさんあります。古いお寺を回るのもいいですね。ちょっと遠くなりますが、金閣寺もあります。ここも京都観光でよく案内される所です。一面金張りのお堂は目をみはるばかりまばゆい光を放っています。京都は古いお寺や歴史的な事跡が多くあり、素晴らしい街です。

不動産会社(ディベロッパー)

私は街に興味があります。学生の頃は都市計画学科というところに所属しており、街の成り立ちや作りについて勉強していました。特に興味を持ったのは江戸です。江戸という街は、中世の時代において世界最大級の街であり、まれにみるエコシティです。また、地形や水路を利用した都市機能というのも江戸を特徴づける要素です。都市計画学科に所属していると、ディベロッパーに就職する人が多いです。都市計画出身で一番安定と給料が手に入る道と言っても過言ではないでしょう。ディベロッパーには、ほとんどの人が一生に一度か二度、関わることになります。とくにマイホームを売買するようなときには、三井のリハウスや、東急リバブルなどに頼む人が多いのでないでしょうか。(家を売る時は三井か住友か東急リバブルか)大手の不動産会社は、マンションなどを企画して建設して販売するだけでなく、仲介をしたり、建物の維持管理を行ったり、商業ビルやオフィスビルを建てて、賃料収益を手にしたりして、幅広く利益を上げています。世の中に建物がある限り、ビジネスの種は沢山あると考えてよいでしょうk。ただし、建物には瑕疵などの不具合もつきものですから、不動産会社はその点においてリスクをかかえていると考えることもできます。しかし、儲かる会社であることには変わらないでしょう。私もディベロッパーへの就職を試みましたが、あえなく面接で失敗したという苦い経験もあります。

愛知県みよし市が大好き!

私は小学生から結婚するまで住んでいた地元の愛知県みよし市が大好きです。住んでいた黒笹という地域は、昔は砂利道で舗装もされていなくて家も数軒しかたっていなかったのですが、今は名古屋市郊外のベッドタウンの1つになっています。小学校や大学ができ、スーパーやショッピングモールができ、家もマンションも数え切れないほど建っています。市役所周辺にはおしゃれなフレンチやイタリアンもお店もできました。みよし市にある駅は名古屋市まで40分でいけますし、東名高速のみよしインターもあって旅行をするのもとても楽です。また、私はみよし市に住んでいる人達が好きです。もともとトヨタ自動車に勤めている家族が多い場所なので、引っ越してきている人が多い場所ですが、近所づきあいが良くていつも私が近くを歩いていると話しかけてくれたり、挨拶をしてくれたりします。治安も今まで強盗や変質者などが出たという話は聞いたことがないので、本当に住むにはお勧めの場所だと思います。

京都に住んでみたい!

私は生まれも育ちも大阪ですが昔から京都が大好きで、休みの日はよく京都へ出かけています。京都は様々良い場所があり、春は京都御苑の桜を愛で、夏は哲学の道付近で蛍が見られ、秋は嵐山で紅葉を見乍らゆったりお茶を飲み、冬は雪が降れば清水寺や金閣寺で美しい雪景色が見られます。それ以外にも、ふらっと鴨川へ行き、あの道沿いを何も目的も無く歩いて夕焼けを見るのもいいですし、日差しの暖かな日であれば、座ってお弁当やお菓子を食べたりとまったり過ごすと気持ちがリラックスします。私が中でも一番好きな町は、一乗寺です。あそこには私の大好きな「恵文社」というお店があります。そこはちょっと変わっていて他ではあんまり見かけないような書籍や雑貨等が売られています。店内もとても素敵な空間で、色んな物を見ているだけでも凄く楽しめます。そして「萩書房」というこれまた風変りな書店や、他にも喫茶店等もあります。お店に入らずにあの周辺を歩くだけでも、何だか長閑で癒されます。もし叶うならば一乗寺に住み、京都の季節を堪能したいです。

人情味溢れる大阪

私は神奈川生まれ東京育ちですが大阪が大好きです。何度も遊びに行きました。どのお店もご飯が本当に美味しい。旅行で来てるのもありますが昼間っから呑めちゃう雰囲気も大好きです。実際昼間から営業してるお店が沢山ありますし、しかも結構地元のおじちゃんで混み合ってる感じです。そしてみなさんとっても温かいんです。以前、大阪で行きたいお店に辿り着けずにキョロキョロしていたら、知らないおばちゃんにどうした?と話し掛けられて事情を説明してたらどうしたどうした?という感じで4~5にんの見ず知らず同士の方が集まって話を聞いてくれました。すごいですよね。東京じゃありえないです。どんなにチャラそうな若者でも見た目ヤンキーでも、ご飯屋さんで料理が出てきた時、まず店員さんに必ず『ありがとう』と言います。一見普通の事のように思いますがこの光景もまず東京じゃ見ません。はっきり店員さんを見て『ありがとう』と言うんです。素晴らしいですよね。こんな街で生まれて育ったら温かい人間に育つのだと思います。仕事で大阪の方とお話する事が多いんですが、やはり、東京の方よりも大阪の方のほうが人情味があり、温かいです。一概には言えませんがね。

住み替える

分譲マンションから分譲マンションに住み替える際には今住んでいる家を売却しなければなりません。いわゆる「中古マンション」として次に住みたい人に買ってもらうという手続きが必要になります。通常、マンションを売る際には、不動産会社に仲介をしてもらいます。その出だしとして、まずは不動産会社に、今住んでいるマンションがいくらで売れそうなのかを見積もってもらう必要があります。これを「査定」といいます。ここで間違えてはいけないのは、査定というのは必ずしも、その査定金額で売れることを保証するわけではないということです。中古マンションが売れるかどうかは、あくまで市場で書い手がつくかどうかにかかっていますので、実際に売りに出してみないと分からない側面があります。しかし、ある程度めどを立てないと売りに出す際の金額が設定できないので、不動産会社による査定を受けるわけです。さて、実際にマンションを査定してもらうと、以外と安くて驚くことがあります。(中古マンションの売却見積価格が不満) しかし、不動産価格というのは、実際のそのものの価値というよりは、需要と供給のバランスによって決まるものなので、期待通りにいかないことがあるというのも知っておいたほうがよいでしょう。逆に、あまり期待していなかったマンションが予想よりも高く売れるということもあります。特に、下落率の低い人気の街や、交通の利便性のよい立地条件の不動産は、場合によっては購入した時よりも高く売れる可能性があります。なお、ひとつコツがありまして、売却査定を受ける前に、家をなるべく綺麗にしておくとよいと言われています。もっと言うと、プロにクリーニングしてもらうと効果があります。特に水回りの状態や、建物の維持管理状態というのは査定価格にも影響しますので、クリーニングに数万円払ったとしても、元がとれる場合もあります。

鶯谷(東京都)

鶯谷は、かつて「正岡子規」や「夏目漱石」、「高浜虚子」といった文人たちが集う一大サロンであった。名の由来にもなった鶯(ウグイス)を遠く京都から連れてきて放すなど、実に風流なイメージがあるが、鶯谷にはもう一つの顔がある。それが『風俗街』という一面である。別段、最近になってここが『風俗』の顔を見せ始めたのではない。実は風流と思われた文人たちや一部華族たちが、愛人や妾を囲っていた場所が鶯谷だったのだ。それくらい鶯谷の性の歴史は長く深い。
鶯谷の風俗の特徴として、ラブホテルを利用した「デリバリーヘルス」が主流であると言う点である。その数およそ300。そのためラブホテルが実に多いが、ソープなどの風俗施設は実は一軒もない。そして働く人間にも特徴がある。「韓国人」がやたら多いのだ。彼女たちは日本のマスメディアが所謂『韓流』を推し進めた2000年代の前半辺りから爆発的に増えたのだと言う。前都知事が行った歌舞伎町浄化作戦からも非対象となり、その後川崎の通称「ちょんの間」が2005年の黄金町と2009年の堀之内の一斉摘発よって韓国人関係者が壊滅したことで、今や関東を代表するの韓国人風俗の街と言って良い。その勢いは歌舞伎町にまで勢力を伸ばすほどである。
しかし、当然のことながら日本で売春は政府非公認であるために、彼女たちが運営するサービスは特に衛生面、疾病面において万全の対策がなされているとは言い難い。余程のモノ好きでない限りは、遠くから傍観を決め込むのが得策であろう。

幕張(千葉県)

幕張で有名なイベント会場施設である「幕張メッセ」は、近年政府が推し進める「クールジャパン」の影の部分のお陰で、悪い意味で有名になった施設として今でも語り草になっている。1991年に起こった「コミケ幕張メッセ追放事件」と呼ばれるこの騒動は、およそ10年後に起こった東京都の「青少年健全育成条例」の改定騒動の際に引き合いに出され、条例の制定にも一部影響を及ぼしたとされている。その意味で、行政が創作物に関する介入すると、どういう顛末になるかを表す良い指標となっている。
事の発端は、「宮崎勤」に端を発して活発化していた「有害コミック騒動」に千葉県警が過剰反応して、その年に開催される予定であった「コミックマーケット」開催関係者とメッセの管理者を聴取したことで、メッセ管理者が厄介ごとは御免と言わんばかりにメッセでのコミケ開催をドタキャンしたことに始まる。その年のコミケは急きょ、晴海の旧「国際見本市」(2020年のオリンピック選手村建設予定地)で数年の疎開を行った後、「東京ビッグサイト」での開催が続いて行く。
さて、コミケを追放した幕張メッセだが、94年に制定された健全条例によりさらなる健全化を推し進めたのだが、その後は閑古鳥が鳴く結果に陥る。1990年には66%の稼働率が、2010年には34%にまで落ち込み、元々交通の便が悪かった上に東京ビッグサイトにイベントの大半を持って行かれた。2010年代の東京都の『青少年健全育成条例騒動』で数年ほどはアニメイベントが戻ったが、和解したため来年からはメッセでは行われない。県と市がメッセに投入する負担金は累計356億円になった。
「白河の清き流れに魚(うお)すまず 濁る田沼 の水ぞ恋しき」という狂歌がある。『健全性』を重んじる千葉県は、綺麗ごとだけでは誰も見向きもしないことを理解した方が良い。幕張メッセの現状はそのことを現実としてわたしたちに教えてくれているのだ。

 

柏(千葉県)

柏ほど、『都会』というものに執着している自治体はないであろう。2008年に隣町を合併して中核市となったが、それでは飽き足らず「政令指定都市」を目指して隣接する「野田市」や「我孫子市」、「松戸市」などの5つの市にラブコールを送っているが、合併時のうま味が出る時期も過ぎてしまい、スローガンだけが虚しく響いているのが現状だ。
しかし柏は一度、合併によって「東葛市(とうかつし)」という街になったことがある。話は1954年に遡る。平成と同じように昭和にも合併が盛んに行われた時代があった。「昭和の大合併」と呼ばれたこの時代、この地域では柏市の前身である柏町と松戸市の間で、合併話が1つの騒動を起こしていた。今は亡き「小金町(こがねまち)」をどちらに合併させるかで揉めていたのだ。結末は小金町が他2村を含めて一度は柏町と合併して東葛市を作るも、すぐに離脱して松戸市に編入されるという数奇な運命を辿っている。実は柏町と小金町との合併は、地域住民の意向を無視した議会の暴走が原因だった。当時千葉県の県会議員をしていた「松本清」(「マツモトキヨシ」の創業者で後の松戸市長)が、強引に小金町に働きかけて柏町との合併を推し進めたのだ。松本の選挙地盤は小金町であり、合併によって更なる票が欲しかったのだろう。しかし地域住民の意向は松戸市への編入であり、強引に成し遂げられた合併は住民投票によって敢え無く離散、小金町は松戸市に編入され、東葛市は柏市となり柏は市にランクアップしただけだった。その後松本は棚からぼた餅式に松戸市長となり、マツモトキヨシのお陰で任期中無給を貫いて話題になったが、柏としては松本の私欲のために振り回されただけという無様な結果に終わった。
現在の合併協議を鑑みるに、どうやら柏は交渉事が苦手のようである。だから合併話をもちかけても他の自治体に袖にされ、松本のような野心家に利用されるのではないか。過去に学ぶということを、柏には是非履行してもらいたいものである。

日本橋(東京都)

日本橋と言えば「三越」と「高島屋」の2つを双璧に持つ『百貨店』のイメージが強い。しかし三越のお膝元は日本橋だが高島は京都である。つまり東西に代表する百貨店が日本橋に存在しているのである。ちなみに高島屋の本店がある大阪では棲み分けがなされていて、高島屋は「難波区」で三越は「北区」である。高島屋が三越のお膝元で軒を構えるようになったのは戦前からであるため、どうやら高島屋の方が三越を気にしている節がある。実は三越は高島屋が京都から大阪に引っ越す前に既に大阪店を中央区の高麗橋に出しており、三越的には高島屋など気にもかけていないのであろう。
ところで、日本橋をお膝元としている三越の前身は、時代劇で悪徳商人の代名詞となった呉服店の「越後屋」である。越後屋は当時としては画期的な値札の導入や、現金払いなどの販売スタイルを確立した先進的なお店であった。当時の江戸時代は値段を販売者と購入者が交渉で決めるのが一般的で、その意味では商売の迅速化を越後屋は始めた先駆者である。もっと評価されても良いはずなのに、庶民のドラマでは悪役に成り下がっているのはどうしてだろうか。
実は越後屋には呉服商の他にもう一つ、両替商を行っていた別の顔がある。江戸時代の貨幣流通は「金」「銀」「小銭」の三つを基本とする「三貨制度」であり、江戸では「金」を、大阪では「銀」をそれぞれ主要な通貨として流通させていた。この金と銀を両替する際の手数料で儲けるのが両替商だったのである。呉服と両替の二つの商売による正攻法で、莫大な利益を得た越後屋は勿論、庶民やライバルから目の敵にされ、それがやがて格好の悪役の代名詞となった訳である。越後屋が両替商と言う職にありつけた訳は、金を鋳造する場所の「金座」が日本橋にあったからと言われている。ちなみに銀の鋳造場所は「銀座」であり、これは今の東京の銀座の位置にあったが、元々は徳川家発祥の静岡にあったそうである。