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土地や建物には霊が憑くと思いますか?

土地や建物とは不思議なものです。昔から、建物を建てるときには「縁起」というものが重視されたり、その土地が昔どのような土地だったかを気にしたりする風習があります。現代でも、大きなビルを建てる前には、必ず地鎮祭と言って、神主様がその土地に住まう神様に、建物が無事に建つよう祈願します。建物というのは、その場所から移動することが出来ないものなので、何かしら霊的なものが宿ると考えられがちなのでしょう。また、物語や映画などでも、例えば「ホーンテッドマンション」などのように、建物自体に、超常的な何かが憑りつくということが題材にされたりします。科学の発達した現代でも、感覚的には過半数以上の人々が、建物には何かが宿るというふうに考えていると感じています。その一つの例が「事故物件」と言う言葉です。事故物件というのは、その建物の中で、自殺や殺人事件などがあった場合、その家にはもう人があまり住みたがらなくなるため、そのような呼び方をするのです。そして、事故物件の場合、不動産会社が売買する際に、その旨を買い手に説明しなければならないため、結果的に市場価格よりも安く取引されることが多いわけです。事故物件を専門に扱っている「大島てる」というサイトが、最近テレビ番組などで取り上げられたりしていますが、そのような情報というのは、今やネットで出回るようになっていますので、ますます事故物件は売りにくくなるのでしょう。しかし、逆に「安いから買いたい」という人々がいるのも事実です。事故があろうとなかろうと、縁起なんか気にしない、という人ももちろんいますので、立地や間取りがよい物件が安く出回っているのは、ひとつのチャンスと言えなくもありません。このあたりは、個人の価値観が色濃く反映されますので、何が正解という事はできませんが、不動産を売買する際には、知識として知っておくほうが良いとは思います。参考:事故物件は売れるか

地元藤沢最高!!

湘南にカテゴライズされるわが町、藤沢。 江ノ島や江ノ電は有名だけど、藤沢というとピンと来ない都会人も多々いらっしゃるようですが、海も山もある藤沢って素敵なとこなのです。 海が近いせいか、春から秋にかけてはビーサンで闊歩する藤沢民が多数。 イベント好きでお酒好きで音楽好きで人が好きな藤沢民も多数。 飲食店が協賛してブロックパーティー(音楽イベント)を開催したり、街コンやちょい飲みフェスティバルなど、町おこしも積極的に行っています。 東海道で都内までも通勤1時間圏内だし、南下すれば1時間で箱根の温泉にも入れちゃう。 小田急とJRが乗り入れているのも、ありがたい。 美意識の高い人が多いせいか、神奈川県下でも群を抜いて美容室の激戦地だとか。 湘南ガールは、綺麗な人が多いのも納得かも(笑) 生しらすや新鮮な魚介も豊富だから、藤沢駅近くの飲食店は、美味しいお店がいっぱい。 深夜までやっているお店がちょこちょこあるのも、のん兵衛には嬉しいポイント。 SMAP中居くんのサインがある蕎麦屋、ながつかもおすすめです。

聖蹟桜ヶ丘(東京都)

聖蹟桜ヶ丘を代表する物は、やはり「京王電鉄」であろう。京王の本社ビルがあるのも聖蹟桜ヶ丘である。聖蹟桜ヶ丘周辺はコンパクトに開発された街であるが、駅では必ず特急が停まる。よく「京王の特急が聖蹟に停まったり、京王百貨店があるのは本社があるから」という声があるが、本社ビルが移転してきたのは1988年、百貨店開業が1986年、京王電鉄の開業が1963年でしかも開業時に聖蹟は特急の停車駅となっていたので、この指摘は間違いである。
聖蹟桜ヶ丘に特急が停まるようになったのは、60年代から開発が進行していた「桜ヶ丘住宅地」に住む住民たちの通勤対策である。実はこの聖蹟桜ヶ丘の特急停車で助かった者たちがいる。同じ頃に造成された「多摩ニュータウン」に入居した人々で、京王相模原線の沿線工事が遅れてしまい、特急が停まる聖蹟に20分の時間をかけてまでバス通勤して来たらしい。
2012年から聖蹟桜ヶ丘駅の列車接近メロディーは「カントリーロード」になった。これはジブリのアニメが桜ヶ丘住宅地を舞台にし、その主題歌が選ばれたからであるが、京王電鉄は首都圏を走る電鉄の中では最も映像媒体でのロケ協力に積極的である。他の電鉄が軒並み協力を拒む中、京王だけは必要あらば臨時列車も出してくれる太っ腹である。

浅草

浅草で有名な名物となっている「浅草海苔」。現在浅草で海苔は採れないのになぜ「浅草」の名前がついているのか。これには色々と面白い歴史がある。
浅草海苔と全く同じ名前の海藻である「アサクサノリ」があるが、実は「アサクサノリ」は明治になって以降に学者によって名づけられたものであり、浅草海苔とは関係ないし、今や日本で8カ所しか生息地が無い絶滅危惧種であるから、食材になど出来よう筈もない。
では浅草海苔はどのようにして生まれたのか。そこには浅草に栄えた製紙産業が密接に関わっている。乾燥海苔のあの四角の形状と、障子などの和紙の四角に類似点を覚える人もいるだろう。実は和紙の製法と乾燥海苔の製法は良く似ている。というよりも、和紙を作る過程の「紙漉き(かみすき)」の方法を、そのまま乾燥海苔の作り方に転用したものだからである。浅草に栄えていた「浅草紙」に替わって「浅草海苔」が一躍名物に躍り出たのだ。
浅草海苔の登場は日本人の食文化にも影響した。今でこそ海苔は日本人の朝食に欠かせない一品だが、浅草海苔が登場するまでは一部の貴族や僧侶だけが食する高級食材だった。理由は一般庶民に供給できるほど大量生産できなかったからである。それが徳川家康が幕府を開いた際、東京湾の魚を常に幕府に供給するように命じたため、漁民たちは生簀(いけす)を作って魚の養殖を始め、その生簀に海苔が繁茂するようになって海苔の大量供給が実現されたという背景がある。
海苔の加工方法を真っ先に見出した浅草の人々のお陰で、海苔は瞬く間に日本全国に広まったのだ。すなわち、海苔の食文化の影に「浅草」ありと言っても過言はないのである。